30代陰キャが語る思い出ゲーム3選 ポケモン,スマブラ,ラグナロクぅ!

こんにちは。バチです。
今回は現在30代、今でいう陰キャの青春時代を過ごした僕が、当時ハマったゲームを懐かしんでみたいと思います。

なんの需要があるんじゃ、という気もしますが、陰キャには陰キャなりの遊び方や思い出ってあると思うんですよ。

たとえばポケモン初代なら、周りが交換やら対戦やらするなか、ひとり厳選作業とCPU対戦に明け暮れてたり。
当時はまだ個体値とか努力値という言葉がなく、全国大会出場者ですら、厳選していることが珍しい時代でした。

スマブラならテレビで見た名人のプレイにあこがれて、ひたすらCPU相手にコンボしてたり。

そしてラグナロクオンラインに残りの青春すべてを費やしたり。
はたから見ると寂しく思えるかもしれませんが、当時はそれはもう、楽しく濃密な時間でした。

当時は似たような陰寄りオーラの(失礼!)友達と話す機会があったものの、社会人になってからは全くなく。
同じような経験をした方と共有してみたいなぁ…と書いてみました。

当時は陰キャなんて言葉がなかったり、今ともちょっとオタクのイメージが違かったりもしました。

つらつらとお話してみます。
もしよろしければ、お付き合いくださいませ!

動画版:30代陰キャが語る思い出のゲーム3選 ポケモンスマブララグナロク!

青春1 ポケモン(初代)

青春その1はポケモン。
青春、そしてポケモンというと友達と交換!対戦…というのを想像しがちですが、自分はひたすら一人プレイ。
特にハマったのがポケスタ、ポケスタ2、そして「厳選」。

小学生、厳選作業にどっぷり

当時はまだ個体値とか努力値という言葉が無かったと思います。
雑誌や攻略本で、それらしい情報が少しずつ出始めたころでした。

  • ポケモンは捕まえるごとに能力が違うぞ!
  • ニドラン♂を倒すと「こうげき」がよく上がるぞ!
  • ポケモンを倒せば倒すほど、ステータスがよく上がるぞ!

みたいな。

この個体値、努力値という要素が、当時小学生だった自分をめちゃくちゃワクワクさせてくれました。
雑誌なんかにも、「きちんと育てるとこんなに能力が高くなるぞ!」とか載ってるんですよね。
こいつよりも強くしてやるぞー!みたいな。

今ではメタモンとか卵とか糸とか、厳選作業もだいぶ楽になりました。
ただ当時は初代とあって、ひたすらポケモンを捕まえるしかなかったんですよね。
それはもう苦行の一言だったと思います。
でも飽きなかったですね…!

自分がやった、今思うとゾッとする苦行が
「ミュウツーをニドラン♂だけ倒してレベル上げ」というもの。

当時の発想としては、

  • ポケモンを倒せば倒すほど能力が高くなるのかぁ
  • なるほど、ニドラン♂を倒すのが良いのか
  • じゃあニドラン♂だけ倒しまくったミュウツーは最強なんじゃね?

みたいな。

そして実際レベルを上げたら、なんと各能力値が10とか15とか上がったんですよ。
もっとだったかも…?それはもう衝撃でした。
「す、すげぇ!倒しまくると本当にめちゃくちゃ上がる!」
「これレベル100までやったらHP600とか700になるじゃん!」
めちゃくちゃ興奮しましたね。

ただ、当時は『努力値に限界がある』ということを知りませんでした。笑
どうやらドーピングアイテムを使い切ったあと、ニドラン♂を1000匹倒すと各努力値がMAXになるようで。

ミュウツーだと、レベルを1あげただけでMAXになっていたんだと思います。
そのぶん、めちゃくちゃ上がったんでしょうね。

こればかりは当時の自分でも、ちょっぴりツラかった感覚をほんの少し覚えています。笑
たしか途中で飽きて、ニドラン♂を倒しまくるのはやめてしまいました。

もう1レベルぐらいあげたとき、「あれ?思ったより上がらないな…」なんて思ったような記憶があるようなないような。
努力値はすでにMAXですからね、そりゃそうだっていう。

ちなみに等速ではなく、当時ポケスタ2で2倍速、3倍速ができるモードがあったので、それを利用してやってました。
等速だったらと思うとさらにゾッとします。笑

やまうちともゆき君は廃人神

そんな厳選にハマっていた僕が、当時ポケモンで「この人はすげぇ!」と思ったのが、ニンテンドウカップ98の全国大会出場者、やまうちともゆき君(さん)

ポケスタ2だと、ニンテンドウカップ98の全国出場者と戦えるんですよね。
それで攻略本に使用ポケモンの能力値が載っていたんですが、やまうちともゆき君のポケモンが、明らかにズバ抜けて能力値が高いんです。

どうやら98カップ当時でも厳選&努力値稼ぎはあまり知られていなかったようで、全国出場者ですらキッチリやっていたのは半数ぐらいだとか。

そのなかでも神がかっていたのが彼でした。
個体値厳選はもちろん、努力値もすべて稼ぎきっていたようで。

優勝こそしていませんでしたが、ポケモンの能力なら明らかにナンバーワンだったと思います。

電撃さん?、個体値努力値MAXはあきまへん

完全に余談なんですが、当時の電撃…の攻略本だったかなぁ。
使うポケモンがみんな、個体値と努力値がMAXなんですよね。

攻略班?が使用しているミュウツーLv.100の能力値が載っているのを見て(数年後に)確信したんですけど、
ミュウツーLv.100
HP:415
こうげき:308
ぼうぎょ:278
すばやさ:358
とくしゅ:406

完全に個体値、努力値MAXです。
本当にありがとうございました。(これ死語かな…)

ケンタロスLv.30も画面写真に乗っていたHPが112(MAX)で、
「おぉ~!やまうち君のケンタロスと一緒だ!」なんて思ったり。
これも攻略班のは全部MAXだったんでしょうね。

電撃さん?、あきまへんて。笑

ケンタロスは神

当時の僕にとっての神ポケモンは、圧倒的にケンタロスでした。
大会出場者がみんな使っていたり、雑誌でもどんどん「ケンタロスは強ぇぞ!」みたいな情報が出始めたり。

テンプレの技構成といえば、

  • はかいこうせん
  • じしん
  • 10まんボルト
  • ふぶき

でしょうか。

大人になってから「ケンタロスって10万ボルトじゃなくてのしかかりのが良くない?」とふと思ったんですが、どうやらその通りらしいです。

ギャラドスとパルシェン以外にはのしかかりのほうが、通りが良いとか。
3割で麻痺にもなりますしね。

あと今でもたま~に思うのが、ゴローニャを交換でぶつけて、大爆発で道連れってどうなんだろう?とか。
とりあえず、はかいこうせん、10万ボルトは(ほぼ)効果なし。
他も一発は耐えるはず。

ケンタロス以外にも、サンダースにもまず勝つでしょうし。
影分身の運ゲーは別として…。
ゲンガーやフーディンは微妙かな?

当時の地面ポケモンといえば、まずダグトリオでしたね。
初代はすばやさ高い=急所率高いだし、ダグトリオ安定なのかなぁ。

フリーザーもどうなんだろう?
凍らない、とくしゅ高い、自分もふぶき使える、岩技はほぼ使われない。
最近?の情報だとルージュラが強いみたいですけど、フリーザーも結構イけるんじゃないかなぁ。

ああ、またいろいろ試してみたい。
Switchでポケスタアーカイブとか出ないかな。

…いつのまにかゴローニャとかフリーザーの話になっちゃった。

99カップのペルシアンも神

ニンテンドウカップ99では、97~98カップの全国大会出場者が使ったポケモンが使えなくなっちゃったんですよね。

一躍、脚光を浴びたのがペルシアン
「きりさく」がもう強い強い。
当時は急所に当たりやすい技が、ほぼ確実に急所に当たるというぶっ壊れ。
すばやさの高さによるらしいですが、ペルシアンだと99%急所だそうで。

さすがにゴーストなんかには分が悪かったですが、とりあえず「きりさく」連打してればいいだろ、的な。笑

完全にサイドンピンポイントの「バブルこうせん」なんか覚えさせてたり。
いや~ピンポイントすぎん?とか思いつつ、僕も覚えさせてました。笑

今思うと、はかいこうせんでも良かった気もします。
きりさくより少し威力高くなるし、急所に当たるかもですし。

それと、バリヤードが一番輝いていたのってこの頃なんじゃ?という気もします。
ユンゲラーより火力は劣るものの、防御面が高く、10万ボルトも覚えたり。
なによりエスパーですしね。

99カップも99カップで選ばれるメンバーは決まった面子も多かったですけど、98~99カップとは違った熱さがありましたね。

トランセル種市さんは心の師匠

64マリオスタジアムという番組で、ちょくちょく…というか毎回のように?ポケモンコーナーがありました。
そこで解説役としてよく出てきたのが、トランセル種市さん。

今思うと、彼はいったい何者だったんだろう…?
任天堂、もしくは関係会社の社員さんだとは思うのですが。

…と調べてみたら、ファミリーコンピュータMagazineという雑誌のライターさんだったみたいですね。
番組側が、編集部に依頼したみたいです。

種市さんのマークが入った攻略本とか、思わず買ってもらったり。
大丈夫、トランセル種市さんの攻略本だよ、みたいな。
雑誌名は忘れましたが、種市さんの連載とか、「僕が育てたフーディンプレゼント!」みたいなのがあったり。

今ネットで検索すると、「サンダーにじわれは効果抜群」の発言が強調されていますけど。笑
心の師匠、ともいうべき存在でした。

語ったら止まらない

ポケモン、特に初代は語ったら止まらなくなっちゃいますね。
少年時代は毎日毎日、ポケモンの厳選とポケスタにあけくれていました。
あとミュウへのあこがれとかもありましたね。

ありました、というか今でもあります。笑
金銀でもセレビィにあこがれたり。

延々と話していられちゃうので、いったんこのへんで。笑
ポケモン初代を題材として、またいろいろ話をしてみたいです。

青春2 スマブラ64

青春その2はスマブラ64。
青春というと、やはり友達とワイワイ…というのを想像しがちですが、自分はひたすら一人プレイ。

ぜんぜん大乱闘じゃない。
そして今でも鮮明に覚えているのが、当時の名人、及川さんのプレイ。

及川青カービィは神

当時、64マリオスタジアムという番組でスマブラコーナーがあったんですよね。
そこで出てきたのが、初代スマブラ名人の青カービィ使い、及川さん。

それはもう及川さんのプレイにぶったまげたもんです。
当時の自分にとっての「神」の一人でしたね。

及川コンボ、真似したよね?

最初出てきたとき、お笑いコンビ「あさりど」の川本さん操るネスと、ドンキーステージでの対戦。
開始直後、小ジャンプ下Aドリル→上A→ジャンプ下Aドリル→ジャンプ下Aでパーセントをためて。

起き上がったネスに横スマッシュ、撃墜!
ここまで10秒ぐらいだったと思います。

たった10秒で撃墜。
そしてなんだこのコンボは…!
青カービィに後光が差して見えました。

このコンボはおそらく受け身がとれるのですが、後の番組で及川さんが見せてくれたコンボに、さらにぶったまげました。

小ジャンプ下ドリル→上A数回→小ジャンプ横Aドリル→着地横スマッシュ、というもの。
これは低%なら脱出できないと思います。

最初に見せてくれたコンボといい、このコンボといい。
当時の自分はCPU相手に真似しまくりました。

毎日毎日、飽きもせずにCPUにコンボを決め続ける日々。
今当時の自分に会えたら、「飽きないの?」と言ってしまいそうです。笑
飽きなかったんですよね、なんでだろう…。

それだけ自分にとっての及川青カービィは「神」だったんだな、と思います。

今でも思い出すのはなぜだろう?

今ではゲームがうまい人の発信は当時と比べ物にならないほど増えましたし、レベルも格段に上がったと思います。
でも、当時及川さんの青カービィで受けた衝撃を上回るものはあったかというと…無い気がします。

僕はスマブラはDXぐらいまでは(一人で…!)やっていましたが、Wii版のスマブラXは少し触った程度。
今ではSwitchのSPは買ったものの、やはり全くやっていません。

それでも、今でも思い出してしまうほど、当時の自分にとっては圧倒的な存在でした。

自分が幼いころの経験というのも、もちろんあると思います。
年を重ね、ネットが普及するにつれて、ゲームの上手い人も見る機会が増えてきました。
しかし当時の自分にとっては、及川さんのプレイは、言葉では表せないほどの衝撃でした。

これはなんとなくの感覚ですが、ただゲームがうまいだけでは、ここまで惹かれるものは無い気がします。
幼いころの経験、という背景に加え、及川さんにはカリスマ性のような何かがあったんだろうなぁ、と思っています。

青春3 ラグナロクオンライン

ラグナロクオンライン。
確実に人生で一番時間を費やしたゲームです。

高専時代のすべてを捧げたといっても過言ではありません。
おかげで単位はギリギリのギリギリでした 笑

自分がやっていたのは、転生システムが実装されたころでした。

レベル98→99に100時間

当時、レベリングがめちゃくそ苦行じみていたのを覚えています。
転生するためにはレベル99にする必要があるんですが、レベル98→99の経験値が1億。

ゲーム内では100万=1Mとよく表記されていました。
1億=100Mですね。

僕はアサシンを使っていました。
すぐ死んでしまうので、ピクミンなんて呼ばれていたり 笑
武器をそろえて、高効率の狩場で1時間で経験値1Mぐらい。
めちゃくちゃ集中して、運が良ければ1.5M…という感じだったと思います。

つまり98→99レベルにするために100時間
100時間ですよ、100時間
しかも死んでしまうとデスペナルティで経験値が1%減ります。
1度死ぬと1時間がパァ。

今ではレベル100に1日いらないみたいですが、当時はもう苦行そのものでしたね。
後に「使うと経験値1.5倍!」とかの課金アイテムが出たりしましたが、当時はまだありませんでした。

それでも飽きもせず、たまにギルドメンバーとチャットなんかしつつ、毎日毎日モンスターを狩り続ける日々。

兄に「飽きないの?」と言われたり 笑
こいついつも同じゲームで同じことしてんな、と思っていたんでしょうね。
飽きないんですよね。なんででしょうね。

とりあえず「AFK」ネトゲ内でも話下手

疲れるとギルドのたまり場でただ座って、「あふけ」なんてチャットを出してみたり。
(あふけ=AFK=Away From Keyboardの略、離席中の意味)

実際には離席というか、裏で別のサイトを見たり。
「誰か来ても話がもたないからとりあえず離席中にしとこ、用があったらチャット入ってくるやろ」
ぐらいな気持ちだったと思います。

ネトゲ内でも話下手。
陰キャここに極まれり。

文化祭?体育祭?知らん!

まだ学生だったので、文化祭や体育祭なんかもありました。
でもとりあえず登校して、10分ぐらいで帰宅、そしてログイン。笑

いちおう、行くは行くんですけど。
自分の役割とか出る種目とか、特に無く。
今思うと、どんだけ周りと関わらなかったんだよ、と自分に引きます。笑

そしてラグナロクで狩!狩!狩!たまにAFK!
平日は1日5時間、休日は7~10時間はプレイしてましたね。

すごい人はもっとすごかったと思います。
今とは違って課金アイテムも無かったので、強くなるには時間をかけるしかなかったんですよね。
当時見かけたギルド名で「リアルを捨てた強さ」というのがあって、今でも覚えています。笑

社会人を名乗ってたけどバレてた気がする

そんなプレイ時間で、当時は社会人を名乗ってました。
アホなのかな?

職業はなんて設定にしてたんだろう。
プログラマーかなぁ。

なんというか、見栄があったんでしょうね。
今思うと、完全にバレてた気がします。
当時の言動とか見たら顔から火が噴きそう。

当時は陰キャなんて言葉なかった

当時は陰キャなんて言葉、なかったですよね。
当時でいうとオタクとかヲタク?になるのかなぁ。
PCネトゲ=オタクの遊び、ラノベ=オタクの読み物、みたいな。

でもオタクというと、さらにディープな世界なイメージもあったりして、それで「陰キャ」という言葉が生まれたのかもですね。

今では「オタク」をわざわざ自称したり、下手するとステータスになっているようで、なんとも言えない気持ちです。笑

30代陰キャが語る思い出ゲーム3選 まとめ

さくっと思い出しつつ書いてみましたが、特にポケモンとか語ったら止まりません。
さくっと書いた割にはそれなりの文量になった気がします。
正直、書いていて楽しかったです。笑

同じ境遇の方ともお話してみたい…!
ポケモン初代で対戦とかしてみたい…!
とか、今でも思っちゃいますね。

学生時代でも「初代ポケモンで厳選してたよ~」なんて話、誰かと共有したことはありませんでした。
社会人となってからは、なおさらですね。
またの機会に、いろいろ掘り下げてお話してみるのもいいかもですね。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

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